シンプルライフ、てきとうくらし

できるかぎりシンプルに暮らしたい。1LDKの賃貸で夫と娘と3人暮らし

多感な時期

この世の終わりみたいな色の分厚い雲が朝からずっと立ち込めていたのに、突然風の流れが速くなったのか太陽が勢いよく顔を出し、これまたこの世の終わりみたいな鋭く激しい光を発射して私の目を痛めつける。
地球に隕石か何かが落ちて滅亡するなら、ありがちで暗示的な雷雨や曇天よりも、空全体が真っ白く煌々と輝いて、音もなく消滅するスタイルであったほうが刹那的だしリアルだろうなあ、などと思った。
眉間に皺を寄せ、ざくざくになった死にぞこないのような雪を踏みつけて、ずり下がる紺色のハイソックスを度々直しながら、何度歩いても遠すぎる駅に向かって歩く私は中学生だった。

中学生や高校生という生き物は、私が思うに一番自由な生き物であって、自由を謳歌し、今がいちばん楽しいと思うのが常であり、今さえ良ければいいじゃんという気持ちになってもよい、という暗黙の了解があり、何につけても「多感な時期」を理由にしておけば大抵の大人たちは許容してくれるし、むしろ彼らは「多感な時期」というものが、ありとあらゆる少年少女に訪れること、そして頃合いをみて上手く去っていくことを望んでいる。

「多感な時期」というものは誰もが通過する、いわば大人への登竜門のような期間であり、「多感な時期」を迎えた私たち少年少女は、なんやかんやと思い悩み、落ち込み、怒り、反抗するのがフツウなのだという。

そういった時期を乗り越えずして大人になってはならない、という暗黙の中のさらに暗黙の了解がこの世界には存在しているという事実や、大人たちは「成長に戸惑わないこども」を恐れる傾向にあることを、私は知っていた。

少しずつ膨らんでくる乳房や、今まで生えていなかった目新しい太くて濃い毛、月に一度自分の下半身から否応なく放出される生々しい血液、日に日に異なる体つきになっていく異性に対して、私たちが葛藤し、悩み、戸惑うことを彼らは期待しているのだ。

ローファーの中は入り込んだ雪の残骸のおかげでぐしょぐしょに濡れ、右足の親指の感覚は三分前くらいに消えうせており、鬱屈とした顔のまま私は寂びれた商店街のアーケードの下をずるずると足を引きずるようにして歩くのだった。

ふと、異世界性を醸し出している化粧品専門店の磨き上げられたショーウィンドウに自分の姿をみつける。私は思わず立ちどまり、呆然としてしまった。私は死体になりかけていた。死体が直立してこちらを覗いているようだった。足首までずり下がった靴下が囚人の足かせのように見え、なぜか急に笑いが喉の奥から洪水のように込み上げてきて、私はもうどうしようもなかった。

それは極めて無意味な笑いであり、心の底では可笑しくもなんともなく、むしろ憤りさえ感じていたが、どうしようもなかった。それは洪水だったのだ。
おそらく店員であると思われる、ゆるやかなパーマをあてた中年女性が、気違いを見るような目で私を見ていたが、溢れ出る笑いを止められなかった。事実、私は気が触れたのかもしれなかった。
涙が流れ、呼吸するにもたいへんな努力がいる。
自分の身を案じて店の奥に向かおうとする中年女性を、涙でかすむ目で追いながら、私は心の中で叫ぶのだった。


「今『多感な時期』なのです!」と。

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