シンプルライフ、てきとうくらし

できるかぎりシンプルに暮らしたい。1LDKの賃貸で夫と娘と3人暮らし

障る人

他人の夢の話を熱心に聞いてくれるような、腐るほど暇な人間など少なくともこのご時世には存在しないようだ。期待するだけ無駄だった。
 
ミヤザワは溜め息をつき、同僚の夕子が金色のフォークでイチゴをつつくのを眺めていた。一口で食べればいいものを、彼女はわざわざ四つに分けている。金属と陶器がぶつかる音に、隣の客が眉をひそめた。
 
夕子は食べ方が汚い。彼女とランチをする度に、いつかこの子の親の顔が見てみたいとミヤザワは思う。年中夕子の親に会いたがっているのは、娘の夕子ではなくミヤザワだ。
夕子は嫌がらせのように耳障りな音をたてる。そしてまるで始まったばかりののようによくこぼす。小花柄の可愛らしいケーキ皿が、生クリームを塗りたくられ台無しになっている。夕子はケーキを食べたいのではなく、皿に生クリームを塗りたいのではないか。そうに違いない。

馬鹿馬鹿しい分析を終えて、ミヤザワは氷ばかりになったグラスを手にとった。
「ミヤザワさんは考えすぎなのよ」
夕子は言った。唇の端にジャムがついている。かさぶたのように張り付いているから、なかなかグロテスクだ。ミヤザワがウェイターに目配せすると、黒髪の華奢な女の子がステンレス製の水差しを大事そうに抱えてやって来た。彼女が水を注ぐと、水差しの底部分から水滴がポタポタと滴り落ち、ベージュのテーブルクロスに染みを作った。
 
快晴の昼間なのに店内は薄暗かった。アンティーク調の照明がぼうっと橙色に灯っている。食事をとる場所としては暗すぎる、とミヤザワは思った。
「そこまで気にしているわけじゃないの。ただ何日も同じ夢が続くから、何かの暗示なのかなあ、なんて。ほら、よくさ、夢ってその人の不安に思っていることや、引っかかっていることなんかが表れるって言うじゃない? だから」
「そんなこと言われても私にはわかんないよ。精神分析するお医者様でも、占い師でもないし」
「そんな言い方しなくたって……べつに分析してくれって頼んでる訳じゃないでしょう」
「本人にさえ分からないような悩みなんて、私が知るよしもないわ」夕子は時間の無駄とでもいう様にバッグの中から乱暴スマートフォンを引っ張り出した。青白い画面の光が夕子ののっぺりとした顔を照らす。

「それよりさ、人事部のあのメガネくんの話聞いた? あの人また勧誘してたのよ! へんな宗教。ほんと気持ち悪い」
「夕子、声大きい」
「大丈夫よ。うちの会社の人がこんなお洒落なカフェなんか来ないから! それでね、あのメガネくんに勧誘された斎藤さん、そこの事務所についてっちゃったらしいの。吉祥寺支部ってのがあって、ちょうどここから歩いてすぐの」
「だったらそこの信者がこのカフェにいるかもしれないじゃない」
「なによ、もう。ミヤザワさんは周りを気にしすぎなの!もう少し図太くなったらどう? 繊細ぶっちゃって」

ミヤザワは口をつぐみ、夕子から目を逸らした。
夕子のせいではない。夕子が悪いんじゃない。ミヤザワは声に出さず頭の中でそう繰り返した。
喉がうねり、胃には圧迫されるような痛みを感じた。ホースを握りしめたような鈍い音が今にも聞こえそうだった。これは苛立ちだ。ミヤザワは左の拳をぎゅっと握りしめ、自分の暴力的な心の動きを必死になだめていた。
夕子が薄い唇から言葉を発するごとに、華奢なフォークで彼女の喉をえぐる映像が頭をかすめるのだ。それを消そうと思うほど、目の前の空気が歪み、眠りに落ちそうな感覚にとらわれる。何者かが無理矢理夢の中に引き込もうとしているようだった。これは単なる苛立ちだ。殺意や幻覚ではない。ミヤザワは自分自身に語りかけた。私は苛立っているだけだ。なにもおかしくなんかない。
 
カチカチカチ……と金属と陶器がぶつかる嫌な音が聞こえる。夕子の方に目をやると、その両手はテーブルの縁を掴んでいた。耳障りな音は、ミヤザワの手元から発せられる音だった。
「どうしたのミヤザワさん。やばくない? 目がいっちゃってるんだけど」